九日市の歴史

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平成23年(2011年)から、毎年、庄原小学校の三年生の授業に招かれて、「九日市の話」をしています。その資料を掲載して、九日市の歴史といたします。

1.九日市とは

天正年間(約440年前)に物々交換で始まった市(いち)です。
ところが、昭和年代の戦争で途絶えてしまいました。
2001(昭和13)年に、空き店舗などを活用して、市街地活性化ボランティア活動として、復活しました。
以後、毎月9日に市(いち)を開き、現在も続いています。
昨日の9月9日が212回目でした。

2.九日市復興の経緯

◆平成11(1999)年8月、庄原市企画課が、「庄原まちかど探検隊」を結成、公募で128名が参加、街の、かくれた宝物を探しました。162件の発見がありました。その中に、九日市がありました。
◆平成12(2000)年3月8日、市民によるボランティア活動の「まちかどネットワーク庄原わくわく隊」が67名で発足しました。
◆平成13(2001)年3月9日、わくわく隊の空き店舗活用探検班が「九日市実行委員会」を立ち上げ第1回の「しょうばらくんちいち」を開きました。雪の降る日でした。借用店舗4店、出店者14店、以降、毎月九日に開催、借用店舗も出店者も徐々に増えてきました。

3.復興から現在までの歩み

・平成14年3月9日、地元商店と外部からの出店者と協力者とで「九日市愛好会」を立ち上げました。
・平成14年4月8日、NHKテレビ「お好みワイド・じゃけえ広島」で、くんちいち風景を放映。
・平成15年2月9日、庄原小学校一年生が出店。
・平成15年、庄原小学校体育館で、児童が作った手作り品を、模擬通貨を使って、「お店屋さんごっこ」」を開催。
・平成15年10月2日臨時九日市を開催、NHKテレビの「お好みワイドひろしま」で中継放送。
・平成16年7月「くんちいちホームページ」を開設。
・平成17年12月9日、庄原小学校六年生が出店。
・平成18年2月9日、「九日市実行委員会」が解散。
・平成18年3月5日、「くんちいちメーリングリスト」を開設。
・平成18年3月9日から「九日市愛好会」で運営。
・平成18年7月9日、RCCテレビで「九日市」の様子を生放送。
・平成20年10月15日、TSSテレビ新広島で、10月9日に取材した「九日市」を「満天ママ」の番組で「里山満喫満腹ツアー・イン・しょうばら九日市」として放映。
・毎年一回か二回、日曜日の「九日市」にイベント(楽団・大道芸・カラオケなど)を開催。
・出店者は地元と近隣市町、中国地方全域、四国地方から、毎月、40~50店舗が参加。
・九日市エリアに「楽笑座」「アート多愛夢」「三軒茶屋」「まちなか広場」があり「九日市」に合わせて、いろんな行事を開催。
・学校関係の出店も多くあります。
庄原中学校が生徒の手作り作品の販売で出店。
庄原格致高校が牛乳を使った食品の全国コンクールで上位入賞した作品の試食の提供で出店。
県立広島大学生命環境学部が庄原産の材料でポン菓子ピザやオカラ餡のパンを試食提供と販売で出店。
庄原さくら学園が自家栽培の椎茸や野菜、自家製の菓子の販売で出店。
・県立広島大学の学生で「九日市」を卒業論文のテーマにされた方があります。
・平成23年には、広島女子大学の大学院生(庄原市出身)が「まちづくり研究」で「九日市」に取り組み、「くんちいちシール」を考案、実用化して、商品に貼って販売しています。
・中国新聞その他の新聞に「九日市」の記事が度々掲載されて、県南部や広い地域からお客さんが来訪。
・庄原市毎月発行の市民広報に「九日市」が紹介されています。
・庄原市を外部に宣伝する「市勢要覧」に「九日市」がトップページで紹介されています。
・庄原小学校の授業に、「社会とのつながり」として「九日市」を取り上げたいただき、平成23年から毎年、九日市愛好会の会長の寺岡が講師として授業に招かれています。
・庄原小学校の毎年の学習発表会には、九日市を題材とした、いろいろな創作が発表されています。
平成26年には、児童みんなで考えた九日市の創作劇。平成27年は「九日市音頭」の創作ダンスが発表されました。
・平成26年11月、「くんちいちホームページ」をリニューアル。
・平成27年12月9日の九日市で、庄原小学校三年生児童全員が「九日市の踊り」をお客さんの前で披露。
・平成28年12月21日に、永年の活動が認められ、広島県知事表彰として、「広島県いきいき地域づくり賞」を受賞しました。

4.九日市が始まった頃の庄原の様子

◆九日市について参考にした文献は、芸藩通志、庄原雑録、庄原市史、庄原の歴史通史編、永江の里から庄原町へ、広島県の地名、井上円了選集第十三巻、日本史小年表、全訳古語辞典、お年寄りから聞いた話などです。これらを調べた結果について、まとめて説明します。
◆現在の九日市は毎月九日だけ開催されていますが、昭和年代の世界大戦で中止になるまでは、毎月9日、19日、29日と月に3回開かれていました。
◆9日を「はつぐんち」、19日を「なかのくんち」、29日を「おとぐんち」と言っていました。
◆九日市の始まりは、天正(てんしょう)年間(1573~1591)と言われていますから、440年くらい昔です。即ち、室町時代から安土桃山時代に代わった頃です。室町幕府滅亡が1573年、織田信長が安土城を築き移ったのが1576年、本能寺の変で明智光秀が信長を滅ぼした1582年、豊臣秀吉が大阪城を築いた1583年、徳川家康が江戸城に入り、豊臣秀吉が全国を統一した1590年、秀吉が身分制度(士農工商)を定めた1591年、この頃が天正年間です。
◆天正年間に泉州(今の大阪府の南部)から、板倉宗右衛門という浪人が庄原に来て、右近源右衛門の娘の婿になって、尾道から塩や海産物を運んで、農家の米と交換する市(いち)を始めたという説がありますが、それよりも前に物々交換の市らしいものがあった様です。
◆税金の話として、次の様に書かれています。庄原の町に月三度塩市がありました。もともと、右近家の敷地で近在の者が集まりいろいろな商売を始めました。山内(やまのうち)の殿様より、誰が何処へ店を出すかを割り付けをなされて始まりました。普通の月の市には、税金は取りませんでしたが、11月29日と12月9日、12月19日、と12月26日には、他所から来る商人より少しづつ取る様に仰せ付け、税金として運上銀(貢租)九文目(きゅうもんめ)と小物成銀(雑税)を一緒にとっていましたが、御新格(正徳二年浅野吉長が実施した群制改革の新しい決まり)が出来た時からは税金を取る事を停止したという事です。
◆山内城主の山内元通(やまうちもとみち、十二代、天正五年没)が市を見物する為に、板倉家に桟敷(さじき)を設けさせたといいます。以後、板倉家を桟敷屋(さじきや)と呼ぶ様になりました。
◆その頃の庄原の町の様子は、寛永(1624~1644)になると、街道の要地として、庄原に宿駅が置かれ、伝馬(①律令制で駅馬の他に各郡に常置し、公用に供した馬。②各宿駅に常備されて宿駅から次の宿駅まで人や荷を運ぶ公用の馬)九頭が設けられていました。
◆万治元年(1658)になると、庄原の町には、既に九軒の酒屋があり、大阪屋弥三兵衛は米百三十石、桟敷屋甚兵衛は米百石で酒造りを行っていました。
◆現在、三日市の地名が残っている所では、毎月三日に市が立っていました。
◆九日市はもともと現在の七塚駅あたりだったという事ですが、物々交換で賑わった庄原へ移ったのか、或は、移したであろうと言われていて、この点は、判然としていません。
◆庄原は、他の城下町とは成因を異にし、野っ原の様な地で海産物と農産物の物々交換から発展した町です。交換市が庄原の町の原点であると言っても過言ではないでしょう。
◆桟敷屋四代目甚兵衛が壮年の頃、元和・寛永の乱以後、山賊が多く奥里の通行が難しく塩など不自由になり、甚兵衛が人夫に馬を牽かせ、自身も付き添い尾道に通い、塩その他の海産物などを持ち帰り、奥筋へも商売したと伝えられています。
◆この様に、市が盛んに立ってくると、先ず「造り酒屋」が繁盛するので、天野屋(本家伊藤)とか、胡物屋(本家田邉)などは、著しい発展であったでしょう。
◆それに続いて、多忙を極めたのは、「煮売り家」という飲食店であり、一方、宿屋とか置屋と称するものは、隅にはおけぬ、しろ物となるわけで、戦前まで、これらは他地を遥かに抜く優勢さであったのが庄原でした。
◆明暦二年(2656)二月に、町の下(しも)三分の二を焼失しました。この頃になると、かなりの町屋敷が並んでおり、町としての機能をなしていた様です。又、延宝三年(1675)四月並びに天和二年(1682)八月に市街地の大半は焼失したのですが、その時代の最も繁盛していた頃の表通りの商家は、六十八戸連なっていたと伝えられています。
◆文政五年(1822)二月十日に御回し覚えとしての「市日に於ける規定」には、九日市の決まりについて、町役人からの通達が次の様に出ています。「これまでは、九日市に他所者に、直接相対に敷地を貸していたし去年の盆市にも他所者へ貸していた所が、相手や周囲の事情をかえりみず自分勝手にする我儘な事があり、これからは、宿をとらなかった者へは、貸してはいけない。そして、喧嘩口論などあった時は、宿を貸した者が万事引き受ける事。以上を守る様心得る事。町中の関係者へ印判を押して通達し回す事。」
◆江戸後期には、山内東村、山内西村、山内北村、からは、茣蓙・菅笠。峯田村、春田村、上谷村、からは、薪・麻が出品されていました。
◆隣の三日市と商圏争いがあって、紛争が絶えなかったので、文政六年(1823)には、代官・頼杏坪(らいきょうへい)が三日市と九日市を和解させたと伝えられています。当時は、頼母子(たのもし)が行われていたという記述があります。
文久三年(1863)には、三日市と連名で福引興行を願い出て、客寄せに努めたそうです。
◆東洋大学の創始者である東京大学教授井上哲次郎(円了)が、明治末から講演旅行で全国を巡った旅行記「南船北馬集」の第八編(東洋大学刊「井上円了選集」第十三巻所収)に、庄原の事が書かれています。大正二年(1913)四月十八日に庄原を訪れ、東雲座で講演し、旅館右近屋で宿泊、十九日には庄原実業学校で講演しています。その日の九日市の事を、「当日は市日にして、近在の農夫街上に集まり店頭に群がる、毎月三回九ノ日を市日とすという」と紹介しています。

5.近隣の市(いち)のつく地名

・庄原市三日市町に「三日市」(みっかいち)
・庄原市口和町に「一日市」(ひてーいち)
・庄原市西城町に「一日市」(ふてーいち)
・庄原市西城町に「五日市」(いつかいち)
・庄原市西城町に「十日市」(とうかいち)
・庄原市高野町に「新市」(しんいち)
・三次市に「十日市」(とうかいち)
・広島市に「五日市」(いつかいち)
・広島県廿日市市に「廿日市」(はつかいち)

6.全国の「九日市」と名のつく所

・島根県邑智郡美郷町の「九日市」(ここのかいち)
・新潟県村上市の「村上九日市」(むらかみここのかいち)
・東京船橋の合併前の「船橋九日市村」(ふなはしここのかいちむら)
・愛知県一宮市丹陽町九日市場
・兵庫県豊岡市の「九日市上町、中町、下町」(ここのかいちかみのちょう、なかのちょう、しものちょう)
・大分県玖珠郡玖珠町の「九日市温泉万(は)年(ね)の湯」
・宮崎県宮崎市源藤町九日市
・沖縄県那覇市の七日マチ「九日市」の甘蔗市(戦前)
・長崎くんち  長崎おくんちは、長崎市の諏訪神社の祭礼である。10月7日から9日までの3日間開催される。国の重要無形民俗文化財に指定されている。昭和54年指定、指定名勝は「長崎くんちの奉納踊」龍踊(じゃおどり)。
・唐津くんち  佐賀県唐津市にある唐津神社の秋季例大祭である。毎年11月2・3・4日に開催される。国の重要無形民俗文化財に指定されている。漆工芸品の豪快な曳山(ひきやま)を曳いて、唐津市内の旧城下町を練り歩きます。

7.九日市で学んだ言葉のプレゼント

あなたの好きな言葉を選んでください。
1 今やらねば、何時出来る。私がやらねば、誰がやる。(積極性)
2 継続は力なり。(途中で投げてはいけない)
3 夢に向かって努力。(夢を持て、それに向かって努力せよ)
4 人間、死ぬまで勉強。(世の中は、常に進化している)
5 お互い様。(自分だけが良いのでは、いけない、助け合いの心を)
6 凡事徹底。(ぼんじてってい)(普通の事、やるべき事を徹底的にやろう)

8.皆さんへのお願い

庄原市は、過疎化に向かっています。今のままでは、消滅都市と言われています。
あなたが住んでいる町は、あなたが守らねば、誰が守るんですか。
これから、大人になる為の勉強が、沢山あります。勉強の為に、庄原を離れる事があっても、必ず、庄原へ帰って来て下さい。
そして、あなたの故郷庄原を、九日市を永遠に続く様に守って下さい。
よろしくお願いします。
平成30年(2018年)9月10日
九日市愛好会 会長 寺 岡 隆 行
(1930年生まれ)
住所 庄原市宮内町91番地